かつて泉南市新家にも随所にやぐらが曳行されていたと記されています。新家の多くは昭和9年の室戸台風により小屋ごととばされたようです。兎田にはだんじりもあったようで現在もあれば大阪の最南端のだんじりだと言われています。
 泉南の山手地区ではほとんどやぐらがありません。理由および原因は台風、神社の合併等での喧嘩など思われます。


 
 泉南南部のやぐらもだんじりに外形はよく似ているが上の写真に有るように太鼓を打つ者は座って叩く。 
 曳行は楽であるが暴れ方が激しい。 この地域のやぐら節は「若い衆よ」 囃「よいやせ」「しなりこいなあちゃーぼーよ」「ああよーおいせーえーそーらせー、そやおちゃぼとほたえてえらいやっちゃあらいやっちゃ」と唄ってだいば(やぐらの前の部分の梶棒)のしたでもみあう。 いいほど唄うとだいばに飛びつき引き出す姿勢に移る。 この引き出す姿勢の時の掛け声は「そーらーよーいやなー あればいせー こればいせー そーらーやーとなー」と唄いながら曳行する。 またこの様な唄もある「石山の秋の月、牡丹に唐獅子竹に虎、虎追うて走るはまとうない、まとないお方に知恵かそか、知恵の中山千願寺、千願寺のおっさん坊さんでー べーらべーらべらしゅっしゅう」と唄うそうな。 

 信達地区は牧野を中心にし16ヶ所で秋祭りが行われて、またこの頃、みこしも3基あり金熊寺(きんにゅうじ)から樽井の海岸までいき、ここで清めて金熊寺まで帰った。(きんにゅうじの梅で有名である)泉南市のやぐらでも西信達地区は、太鼓は、立って叩きます。

 
 同じ泉南市でも地区によって、かなりスタイルが変わる様です、大きく分けて、信達、西信達、樽井、男里で、男里は、阪南市とほぼ同じスタイルで、軽快な動きを見せていました。

 信達、樽井地区のやぐらは、かなり大型で、特に樽井地区は、後ろ(太鼓叩くのに乗る所)が2〜3メートル突き出てます。笛の音色も一味違い また、掛け声や、歌にも、地区によってかなり、違うようです。